どうして鍼灸は効くの(24)?
このシリーズは2015年11月15日のブログから始めたのですが、第一回目から多くの患者様にとって身近な悩みである「痛み」に対する鍼の鎮痛作用を述べさせていただきました。今日から数回に分けてもっと具体的に鍼鎮痛を皆様と一緒に見ていきたいと思います。その後また、血流、神経反射、免疫、生理活性物質の分泌など、様々な側面から鍼灸がからだに与える影響を具体的にお話させていただきたいと思います。
鍼灸治療は、鍼をもって身体表面の一定の部位(ツボ)に刺入し、からだに機械的な刺激を与え、そしてお灸(モグサ)を燃焼させて、からだ表面の一定部位(ツボ)に温熱的な刺激を与えることで、さまざまな生理反応を起こさせます。各種の生理反応を活用して、からだの変調を矯正して、病気の治療・予防、健康増進など、様々な目的で広く応用される治療法です。
一、鍼の鎮痛作用
以前のブログで鍼麻酔を紹介しましたが、うちの院長がまだ医大実習生の時代に実際に経験した鍼麻酔の話をここで一つさせてください。それは50年前のことでした。院長が医科大学在学中、最後の年は臨床実習でした。ちょうど毛沢東の「医療衛生の重点を農村に置きましょう」という呼びかけがあった時代で、医学生たちと大学の先生と一緒に医療チームを組み、三か月くらい山奥の無医村を転々として医療活動をしたそうです。
ある日、引率の先生が一人40代の男性の歩き方が変だということで、聞いてみたら、子どもの頃から鼠径部ヘルニア*1だったそうです。患部を診たら、片方の陰のうが新生児の頭くらいの大きさで、歩く度に擦れて非常に苦痛でした。回り村民の偏見で未だにお嫁さんをもらうことができず独身でいました。村が山奥にある無医村で、生まれてから一度も村を出たことのない人も多く、この男性も一度も町の病院に行ったことはありませんでした。その時ちょうど医療チームに一人外科の先生がいたため、「よし、この村で手術しよう」と、内科の先生と外科専門の看護士さんと組んで、この男性の家で手術を始めました。手術用の麻酔薬はなかったので、鍼麻酔で麻酔をかけることに決めました。先生が男性の耳と手足に鍼を刺してから、うちの院長を含んだ当時の実習生4人が左右二組に分けて鍼の置鍼の間の手技を担当させられました。手術中他のチームメンバーが男性と世間話をして、男性が時々痛いと言いましたが、我慢できないことはなかった様子でした。一時間半くらいで手術が無事終了しました。実習生4人が極度の緊張の中で鍼麻酔の手技を施し、手術が終わった途端ヘトヘトになってしまいました。しかし、この時の手術がまだ何も分からない実習生にとって、一生忘れられない大変貴重の経験となりました。
鍼麻酔といっても、実際には「麻」(痺れること)にならないし、「酔」(酔うこと)にもなりません。病院で手術を受けると、手術内容に応じて局部麻酔と全身麻酔をまず受けることになります。局部麻酔は意識はありますが痛みはほとんど感じません。全身麻酔は意識が完全失って全く何も知らないうちに手術が終わります。ただしどちらも麻酔薬を使うため、薬の副作用はどうしても排除できません。鍼麻酔の場合は薬を使わず鍼の刺激のみで、意識があるため、痛みが完全に消えることはありませんが、我慢できる程度の痛みまで和らげることができます。従って、生理学的には正確に言えば、「鍼麻酔」ではなく、「鍼鎮痛」です。なぜ鍼が鎮痛できるのか、そのメカニズムについて今日から数回に分けて説明させていただきます。
1、私たちはなぜ痛みを感じるのか
一言で「痛み」(疼痛)と言っても、いろいろな痛みがあります。
○ 侵害受容性疼痛:普段の生活で、ぶつけたり、転んだり、料理をする時不注意で自分の手を切ったりするような、外部からからだに加わった刺激が組織を損傷して引き起こした痛み(体性痛)です。また虫垂炎・胃穿孔・腸閉塞・尿管結石などの組織・臓器の病変によって引き起こした痛み(内臓痛)もあります。いずれも痛覚受容器(侵害受容器)が刺激されて生じた痛みです。
○ 神経因性疼痛:末梢神経系あるいは中枢神経系の損傷・機能障害によって生じる疼痛です。日常でよく見かけるのは坐骨神経痛、帯状疱疹後神経痛、頚椎症による神経痛、糖尿病性末梢神経障害などです。
○ 心因性疼痛:病院で様々な検査を受けても、どこにも異常が見つけられませんが、患者さんご自身が常に痛みを感じている「原因不明」の疼痛です。
ここで侵害受容性疼痛を感じる機序について説明しましょう。
からだが切られたり、刺されたり、ぶつけられたりすると、皮膚にある侵害受容器がこれらの刺激を受け入れます。侵害受容器は自由神経終末で、2種類があります。注射針で刺したり、ピンセットで強く挟んだりするような強い機械的刺激に応じる受容器はAδ機械侵害受容器です。一方、機械的圧迫、温度変化、化学物質など多様な侵害刺激に応じる受容器はCポリモーダル侵害受容器です。Aδ受容器は有髄線維で伝導速度が速い(直径1-5㎛、伝導速度10-25m/sec)、C受容器は伝導速度の遅い無髄線維(直径0.3-1㎛、伝導速度0.5-2m/sec)です。
皮膚が侵害刺激を受けると、皮下組織からブラジキニンといった発痛性質(内因性発痛物質)が放出されます。侵害受容器は内因性発痛物質の刺激により興奮し、その刺激が更に電気信号として一次求心性ニューロンを通して脊髄後角に入ります。後角内でシナプスを介して二次求心性ニューロンに伝わります。シナプスでサブスタンP(P物質)が神経伝達物質として一次求心性ニューロンの神経終末から放出され、二次求心性ニューロンを興奮させます。二次ニューロンは同じ脊髄節で交叉し対側の前外側索を上行し視床に到達します(外側脊髄視床路)。視床でまたシナプス結合により電気信号が三次ニューロンを介して大脳感覚野に投射します。それで、私たちは痛みを感じて、疼痛の場所、強さ、性質などが識別できるようになります。
痛覚の伝導経路は脊髄視床路以外に、脊髄網様体路や脊髄中脳路などがあります。顔の痛みは三叉神経の終末は受容器になり、三叉神経視床路を経由して大脳体性感覚野の顔面領域へ投射されます。
次回は人体に元々備わっている痛みを緩和する様々なシステムをご紹介したいと思います。
*1 鼠径部ヘルニア:俗で「脱腸」のことです。小児で生まれつきのものが多いですが、年配の方にも起こります。妊娠5ヶ月ころの男性胎児は、精巣が腹腔から鼠径管というトンネルをくぐって陰嚢の中まで下降します。精巣が下降するとき腹膜をかぶったままで降りて、鞘状突起を形成します。その後鞘状突起が自然に閉じますが、何らかの原因で閉じないと、腸管などの内臓がこの中に脱出してきます。これを鼠径部ヘルニアといいます。鼠径ヘルニアは自然治癒の可能性は低く、確実な治療方法は手術だけです。
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