永遠の憧れ
転載「下重暁子の出会ったひとびと:三國連太郎㊤」:東京新聞 暮らすめいと 2017年4月号(第102号)
玄関に大きな靴がある。まるで舟のような・・・。
「三國さんだ!」先客は三國連太郎夫妻、久しぶりにお目にかかれると思うと嬉しい。
その胡鍼灸院(本院、胡鍼灸治療院のこと)を紹介されたのが三國さんからだった。私達は鍼友達である。中国人の胡先生は、もとは中国ハルピンの西洋医。文化大革命で下放(地方に送り出されること)にあい、家族とも離ればなれ。決心して娘を連れて来日した。日本の医師免許が無く開業できないので鍼灸院を開く。彼女は、「赤いシリーズ」のテレビを見て三國さんのファンだったが、友人の紹介で開業後四番目の患者として来院した三國さんは、女優や知人を多数教えてくれた。
先に治療を終えた三國夫妻としばし歓談。三國さんの声にしびれる。深く艶があり、思わず引き込まれそうだ。
ふだんは、物静かでさりげなく、言われなければ三國さんと気付かない。
心優しく誠実で、「飢餓海峡」の役作りで歯を全て抜いてしまったなどの激しいエピソードが信じられない。
戦後仕事が無く橋にもたれて川の流れを見ていた時にスカウトされ、最初の役目の三國連太郎を名乗ることに。当時の写真は、ジャン・マレーのようにエキゾチックで素敵である。多くの名作を演じ、「釣りバカ日誌」の社長スーさんのさりげなく粋な姿も、三國さんならでは。心からの反戦思想の持ち主で読書家。
親鸞を描いた「白い道」は、自作の小説を映画化したものだ。いただいたその本は今も私の本棚の手の届く所にある。
胡先生の娘が結婚する時はみんなで祝い、三國さんのスピーチが温かく、私も母の打掛けを振り袖に直したものを着てもらった。
一度知り合った人をとことん大切にする筋金入りの正義漢。あんな俳優はもう生まれないだろう。
その人と鍼というプライベートな時間を共にできた事は、この上なく幸せだった。一周忌三回忌と過ぎ、今も胡鍼灸院に通う度、あの舟のような大きな靴を探してしまう。
作者プロフィール:下重 暁子(しもじゅう・あきこ)
1959年早稲田大学卒業、NHKに入局。アナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆活動に入る。著書に「家族という病」「母の恋文」「持たない暮らし」「鋼の女」「この一句」他多数。近著に「若者よ、猛省しなさい」がある。日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。
さくらも散る、涙色のこの日。三國さん、そちらで元気にしていらっしゃいますか。
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