どうして鍼灸は効くの(70)?
三、膝の病気
膝の病気というと、まず変形性膝関節症のことを思いつくと思います。日本では中高年の女性によく見られる膝の病気です。
変形性膝関節症の原因は加齢と直接関係があります。長年使って関節面(軟骨や軟骨を守る半月板)の磨耗はどなたにも起こりえることです。加齢以外に、例えば正座の多い生活や体重増加とも関係があります。正座で足の神経や血管が圧迫され、血流が悪くなります。また、膝が深く曲がっている正座の姿勢から立ち上がるときも、関節に負担をかけることになります。そして、床や畳の上は冷たい空気が流れているため、そこでの長時間の正座は膝関節や足全体を冷やしてしまいます。膝関節はもともと筋肉のように血管が豊富ではないため、冷やされるといっそう血流は悪くなります。
膝関節は人体の最大の関節であり、大腿骨と脛骨、大腿骨と膝蓋骨からなります。関節の表面は軟骨に覆われ、関節の間に衝撃を和らげるクッションとしての半月板があります。関節は滑膜と関節包に包まれ、内側にも外側にも靭帯などにより保護・補強されています。
変形性関節症となったら、
①、半月板の損傷が生じ、特に内側半月の運動性が弱く、前面の部分が細いですので、内側半月の損傷は外側半月の20倍も発生しやすいです。
②、関節軟骨の変性。関節軟骨の変性は膝関節症の最大の要因とも言われています。軟骨細胞の変性・消失、軟骨下の骨の露出、軟骨・骨の小骨折と断片の関節腔内への遊離(関節鼠)、関節面辺縁の骨棘生成などが見られます。
③、半月の損傷や軟骨の欠損状態などになったら、剥がれた断片は滑膜を傷つけ、滑膜の炎症性反応が生じ、関節包に炎症性浸出液が出て、これがよく言う「膝に水が溜まった」という状態です。
臨床では、変形性膝関節症に対する鍼灸治療の有効率は非常に高いです、うちの治療院では治療しても変わらない、よくならないといったケースはまだありません。私自身も子供の頃、長い冬になると-30℃の環境で膝の保温などちゃんと注意せず、足が左利きでもため、左膝に大きな負荷をかけてきたことで、今の歳となって左膝は時々痛くなります。そういう時はすぐに自分に鍼をします。通常1-3回の鍼で痛みは無くなります。鍼治療のメカニズムは次の通りです:
1、半月板の再生を促進する。
半月板は膠原性線維細胞と軟骨様細胞からなるもので、本来ならこれらの組織は再生能力を持っておりますが、加齢・酷使などにより耗損のスピードが再生よりずっと速くなるため、やがて再生不能となります。鍼灸の刺激で、膝周辺の血流がよくなり、線維芽細胞などを活性化し、成長因子(上皮成長因子、線維芽細胞増殖因子など)の産生や活性が亢進します。成長因子の働きで破損した半月板の辺縁から半月様組織は作られ、やがて半月板のような機能を果たすようになります。
2、関節軟骨の破壊を改善する。
関節表面の軟骨成分は主にプロテオグリカン*1とⅡ型コラーゲンからなっています。いずれも軟骨細胞から産生され、これらの物質の産生と分解は常に動的な恒常性が維持されていますが、磨耗・重力の負荷過大による軟骨分解の亢進、加齢による軟骨産生の減少・軟骨細胞アポトーシス(細胞死)の増加などが原因で、軟骨破壊のほうは優位となります。軟骨の破壊にはいくつかの因子が関与します。一つは、関節滑膜表層細胞、軟骨細胞、線維芽細胞から産生するマトリックスメタロプロテアーゼ-3(MMP-3)というタンパク質分解酵素です。MMP-3はⅡ型コラーゲンやプロテオグリカンなどの軟骨成分を分解する機能を持ち、軟骨の代謝に参与します。もう一つは骨基質に存在して破骨細胞から産生する非コラーゲン性たんぱく質のオステオポンチン(OPN)です。OPNは骨芽細胞、腎臓細管細胞、活性化型T細胞、マクロファージなどの細胞にも存在するので、多彩な機能を持っています。骨に関しては、骨・軟骨の破壊を促進し、骨・軟骨の代謝に参与します。これらの物質は多すぎると軟骨の生成と分解のバランスが崩れ、骨・軟骨細胞の変性・壊死は一方的に亢進する状態に陥ります。変形性関節症や関節リウマチ(後述)などの関節軟骨の進行性変性・壊死の場合に、MMP-3やOPNなどの発現が著しく増多するのは知られています。
中国華中科技大学同済医学院付属協和病院鍼灸科は鍼灸の関節軟骨に対する保護作用を証明するため、100人の変形性膝関節症の患者に対して、一日1回、15回の鍼灸治療の前後に、MMP-3とOPNの血中値を測定した結果、両方の値が有意義下がりました。同研究グループは鍼灸の治療機序の一つに、関節軟骨の破壊因子を抑制することにあると説明しました。
3、炎症性病変の進行を抑制する。
膝関節半月板の欠損、関節軟骨の変性・壊死、関節辺縁における骨棘の生成などの問題が起きたら、なんらかの拍子で滑膜の急性炎症性病変が起きるのはよくあることです。激しい痛み、関節周囲の皮膚が熱を持ち、関節包に水が溜まり腫れてきて、立つことも歩くことも困難になります。時間が経つと急性炎症がある程度治まり、やがて慢性炎症期に入ります。普通に歩けますが、走れない、正座できない、階段がきついなどが日常的になります。
炎症反応に最も関与する因子の一つはインターロイキン1(IL-1)だと考えられています。IL-1は単球・マクロファージ・関節滑膜表層細胞から産生する多彩な生理活性を持つ炎症性サイトカインで、生体の感染防御に重要な役割を果たしますが、破骨細胞*2分化因子の発現を誘導し、破骨細胞活性化作用もあるので、骨吸収(骨破壊)を促進することにも参与しています。IL-1はIL-6やTNF-α(腫瘍壊死因子)などの炎症性メディエーターの発現を誘発する作用もあります。これらの物質はすべて炎症性反応に参与し、血管の透過性を増強するため、関節浸出液の生成が亢進します。また、炎症細胞の浸潤を促進し、滑膜細胞の増殖と同時に、関節軟骨構成成分のプロテオグリカンとⅡ型コラーゲンの分解酵素の働きを促進し、関節軟骨・骨質の破壊亢進に伴って、炎症性反応は更に進むという悪循環に陥ります。
鍼灸治療は膝関節の炎症を抑える効果があるのは、IL-1、IL-6、TNF-αなどの炎症性メディエーターの産生や活性を抑制することにあると考えられます。
中国河北医科大学中医学院鍼灸科と河北省以嶺病院リハビリセンターは2009年3月~2010年5月までに、200人(50~65歳)の変形性膝関節症の患者を2組(100人ずつ)に分けて鍼治療を施しました。一組は火鍼*3を用いて、もう一組はふつうのハリで同じツボをとり、一日おきに30日(15回)の治療を施した。治療前後に関節腔内に溜まった炎症性浸出液のIL-1、IL-6、TNF-α値を測りました。治療前と比べると治療後のほうは、これらの炎症性メディエーターは2組とも有意に下がりました。火鍼のほうは普通の鍼より効果がよりよいという結論を出しました。
4、鍼灸治療の総合作用
鍼灸の関節症に対する治療効果は総合的なものです。以上に述べた関節半月の再生、関節軟骨破壊の抑制、炎症性反応の改善以外に、次のことも考えられます:
(1)血流の改善
鍼灸の刺激で関節の血流や微小循環が改善されます。血液循環の改善により、
①関節包滑膜層による滑液(関節液)の生成は増加します。滑液は膝関節が動く時の摩擦・抵抗を緩和する潤滑油みたいような役割をすると同時に、関節軟骨に栄養を与え、軟骨の代謝にも役立っています。加齢により滑液の産生が悪くなるので、軟骨の退化・変性、軟骨・骨間の磨耗・破壊が進行しやすくなってしまいます。鍼灸の刺激で滑液の生成は増加し、関節の病理変化が抑制されると共に、痛みなどの自覚症状も改善されます。
②関節内の代謝が改善します。代謝が良くなると、膝関節を構成する組織(軟骨・骨・結合組織など)再生が促進され、欠損した部分の増殖は可能となります。
③炎症性サイトカインの吸収が促進されます。炎症性サイトカインが少なくなると、炎症反応は速やかに低下し、腫れ・痛みなどの自覚症状は改善されれば、歩くなどの行動障害も解消します。
(2)修復の促進
鍼灸はからだ全般の免疫・代謝・自律神経に対する治療効果は言うまでもありませんが、局部の損傷を修復するのも鍼灸ならではの特技です。この治療作用も損傷局部に成長因子、熱ショックたんぱく質などの表出を亢進させることができるためです。
鍼灸治療は欠損した半月板・軟骨・骨などの再生を促進するだけでなく、余計に増殖した骨棘に対して破骨細胞を活性化させ、発生して初期の段階ではそれを抑制します。骨棘は実際に自己治癒力の一つ表現で、磨耗・破壊された関節が弱くなるのを補強するための増殖です。本来は好意ですが、時々逆効果になり、神経などを傷つけ痛みを引起します。
破骨細胞はマクロファージと同じような骨髄の幹細胞に由来するもので、骨芽細胞の活動と協力して骨吸収・骨新生のバランスを維持します。鍼は破骨細胞に対して活動する場を提示・誘導します。破骨細胞はたくさんの核やミトコンドリア、水解小体をもつ多核巨細胞で、骨棘の骨表面に細胞体を広く伸ばして骨組織に密着して、余分な骨質を溶解・吸収する働きを果たしていると考えられます。
このようにして膝関節は正常状態に近づくように修復され、修復された関節は定期的に鍼灸治療を受ければ、ほとんど現状維持ができ悪化することはありません。
*1 プロテオグリカン:グリコサミノグリカンとコアたんぱく質とが結合する糖タンパク質です。軟骨の主要構成成分ですが、皮膚・結合組織・骨などにも広く分布しています。
*2 破骨細胞:ヒトの骨は生涯を通して骨代謝を行っています。つまり、古い骨を壊して吸収(骨吸収)し、その場所に新しい骨を作ります(骨形成)。骨を破壊・吸収するのは破骨細胞、新しい骨を作るのは骨芽細胞です。破骨細胞は、免疫細胞の単球や組織マクロファージと同じ前駆体から生じる細胞で、複数の前駆体が融合して多核巨細胞の破骨細胞を形成します。破骨細胞から分泌する酵素によって骨が融解・破壊されます。骨の吸収と形成は常にバランスを取り、骨吸収と骨形成を繰り返す現象を骨のリモデリング現象といいます。
*3 火鍼:特製鍼の尖端をアルコールランプなどで白くまで加熱(約800℃)した後、迅速にツボに刺してそのまま30分置鍼する治療法です(置鍼しない方法もあります)。この治療法は自律神経・免疫系バランスを調節、血液循環・新陳代謝を促進、組織の修復・再生を向上する効果があるといわれています。中国においても、火鍼はごく一部の病院でしか行われておりません、患者さんへの身体的負担が大きいことから、一般的な治療法にはなっておりません。
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