鍼談灸話(14):鍼灸医学の「陽の気」はミトコンドリア機能か
こんにちは。渋谷区幡ヶ谷の胡鍼灸治療院です。
鍼灸の治療は新石器時代晩期、今から約5000年前から始まったとされ、最初は石や骨などを治療器具に使い、体の特定部位を刺激することにより、病気や痛みを取り除いていたようです。後に鍼灸医学は陰陽五行説に基づき、2000年以上も前とされる中国最古の医学書である「黄帝内経」でその理論体系が開示されました。特に「黄帝内経」の「素問」は「鍼経」とも呼ばれ、陰陽、五行、経穴、経絡、診断、治療原則、治療方法、今の鍼灸臨床に通じる極めて重要な理論根拠と治療体系を詳細に述べております。
一方で、ミトコンドリアは170年前にスイスの学者によって発見され、人体のほぼすべての細胞にあります(成熟した赤血球、目の水晶体細胞にはありません)。ミトコンドリアは一言で言えば、生きていくためのエネルギーを作る細胞小器官です。そのエネルギーはATP(アデノシン三リン酸)に貯蔵されますが、長く貯蔵できず、そのために、ミトコンドリアは絶えず働いて、エネルギーを作り続けなければなりません。
さて、鍼灸医学の「陽の気」とミトコンドリア、実に不思議な共通点があります。しかし、「陽の気」は目に見えず、生命エネルギーの一つであるのに対し、ミトコンドリアは顕微鏡で見える具体的な存在で、決して同じ概念ではありませんが、その多くの共通点から、「陽の気」の生物学の本質はミトコンドリアの機能そのものを指しているのではないかという説は後を絶ちません。
具体的には考えていきましょう:
①体温維持:「陽虚寒」=ミトコンドリアの産熱機能が低下
ミトコンドリアは口から摂取する蛋白質、糖質、脂肪などの栄養素と呼吸から取り込んだ酸素を使い、ATPを作ると同時に、熱が発生します。この熱は生命維持のための基礎体温を保ってくれます。全身細胞の中で特にミトコンドリアを多く含んでいるのは心臓、骨格筋、肝臓などの臓器で、これらの筋肉、臓器の健康がミトコンドリアの機能を大きく左右します。ミトコンドリアの機能が良ければ、身体がほどよく温められ、新陳代謝、血流、免疫力も良い状態を保てます。反対に、ミトコンドリアの機能が悪ければ、熱供給が不足になり、身体のあらゆる機能が低下してしまいます。特筆したいのは、ミトコンドリアは唯一脂肪をエネルギーに変えられる存在です。ダイエットするのもミトコンドリアの機能を先に上げなければなりません。
一方で、鍼灸医学の「陽虚寒」というのは、「陽の気」が不足することにより、身体が「寒」の状態に陥ることを意味しています。”陽気者、温分肉、充皮膚”でいうように、「陽の気」の働きはまず全身の臓腑、四肢を温煦、つまり温めることです。これはまさにミトコンドリアの機能と一致しております。では、「陽虚寒」はどういう自覚症状が出るのかというと、まず寒がりで、手足が冷たく、基礎体温が低いことが多いです。冷たいものを食べると、すぐに下痢したりします。また夜トイレの回数が多く、朝方に下痢することもしばしあります。膝や腰が痛くて、活力はなく、慢性疲労が続きます。「陽虚寒」の患者さんには陽気を補う経絡を治療します。
②老化現象:「陽の気」の枯渇=ミトコンドリアの持続損傷
「黄帝内経」には”陽気者、若天与日、失其所則折寿而不彰”という文言があります。つまり、「陽の気」は生命活動を主導し、弱くなると、人体機能が下がり、老化が加速してしまい、寿命が短くなります。完全に失うと、生命そのものも終わってしまいます。どのだけ我々人間にとって、「陽の気」が大事なのかはこれでわかります。
一方、ミトコンドリアでは同じことが言えます。そもそも、ミトコンドリアは細胞が酸素に殺されることから逃れるために、細胞内に寄生させられたものです。酸素が地球に増え始めたのが20億年前ですが、それまでの生き物は酸素なしの環境で生きてきて、突然に増えた酸素に耐えられず、多くは絶滅してしまいました。つまり、酸素は猛毒だったのです。生き延びるために、一部の真核生物は自分の細胞内に、細胞核とは別に、ミトコンドリア(正確にはミトコンドリアの祖先となる好気性細菌=バクテリア)を細胞内に迎え入れました。なぜかというと、ミトコンドリアは猛毒の酸素を逆に利用して、エネルギーを作れる特技を持っているからです。
人間は生きるために酸素を吸うことになりましたが、しかし次の試練がまた待ち伏せしています、それが活性酸素の問題です。ミトコンドリアが酸素を使いますが、必ずわずか使い切れず残ります。それが活性酸素となり、これはまた強い毒性を持っています。人間はこの毒性を利用し、体内に侵入してきたウィルスや細菌をやっつけて、身体を病気から守っていますが、過剰に活性酸素があると、今度は自身のからだをやっつけるようになります。からだのあっちこっちが活性酸素の攻撃で壊れると、あらゆる機能が衰えて、「老化」が進んでしまいます。壊れた部分を修復する鍵を握るのは細胞核にある遺伝子です。遺伝情報を従い作られた蛋白質が修復にあたるので、遺伝子が活性酸素にやられなければ、人体は修復しながら老化のスピードを速めることなく生きられます。ミトコンドリアは独自の遺伝子を持ちながらも、核に入らず、核の遺伝子を守りながら、自分の仕事に打ち込んでいます。
こうして見ると、鍼灸でいう「陽の気」がミトコンドリアの機能維持と同じ、直接老化のスピードを左右していると言えます。ミトコンドリアは自食作用(オートファジー)により、古くなったものを掃除し、新しいミトコンドリアを作りますが、機能が下がると、古くなったミトコンドリアが多く細胞内に残り、活性酸素の量が増えてしまい、作るエネルギーが減るだけではなく、老化も早まってしまいます。
③概日リズム:一日における「陽の気」の消長リズム=ミトコンドリアの代謝周期
「霊枢」には”順気一日分為四時”という記述があります。ここの「気」は「陽の気」を指しており、一日の24時間を四つの段階に分け、人体の「陽の気」は自然界の昼夜の陰陽消長に従い、消長盛衰を繰り返していきます。夜明けから午前は「陽の気」は徐々に増えていき、正午になると、最も旺盛で、これは陽の極みと言い、自然界も人間も一番元気になる時間です。午後から夕方の間に、「陽の気」が少しずつ減り、代わりに「陰の気」が増え始め、夜半の頃には「陽の気」が最も弱まりますが、昼間の疲れを癒し、傷ついたからだの組織を修復する時間でもあります。「陽の気」は病気(=邪気)と戦ってくれる「気」ですので、既に病に侵された人たちの病状もこの消長リズムに従い、”旦慧、昼安、夕加、夜甚”の状態を呈しています。
ミトコンドリアはどうでしょうか。昼間は活動モード、夜間は修復モードで、「陽の気」の変化リズムと同じです。例えば、昼間は基礎代謝のみならず、活発な生活活動に必要なエネルギーを作るため、酸素と栄養素を使い、一生懸命に代謝します。代謝亢進の対価として、活性酸素が発生して、細胞が傷つきます。これは生きていくための傷ですので、悪いとわかっていながらも止めることはできません。夜になれば、今度は昼間にできた傷、受けたダメージを修復します。細胞核の遺伝子情報に従い、細胞・組織を修復し、ミトコンドリア自身もオートファジーにより、壊れた部分が分解され、新しいミトコンドリアを再生します。
④基礎免疫力:「陽虚易感」=ミトコンドリア衰退による免疫低下
鍼灸医学の重要な役割の一つは、人体に元から備わっている自然治癒力を補い、正常に働かせるためにあります。”正気存内、邪不可干;陽気虧虚、外邪易侵”という言葉があるように、陽虚、つまり「陽の気」が少ない、機能が弱くなっている人は繰り返し感染症になりやすく、一旦病気になったら、なかなか回復しないか、回復するまでに時間がかかります。本物の鍼灸治療はどんな病気の治療においても、対照的につらい症状をまず取ると共に、必ず同時に、「陽の気」を正常な状態に戻すための治療も一緒に行います。これこそが根本治療で、この根本治療が鍼灸の強みでもあります。
現代医学で免疫学に関する研究が進んでいて、時々この分野でノーベル賞の受賞もあります。しかし、現段階では免疫システムの全容に近づくまでまだまだ気が遠くなるぐらいの距離があります。今わかっている範囲で言えば、免疫を担う免疫細胞、例えば、樹状細胞、ナチュラルキラー細胞、単球、リンパ球(T細胞、B細胞)などはやはりミトコンドリアが産生しているエネルギーに頼り、免疫機能を果たしています。つまり、ミトコンドリアの機能が弱まると、これら免疫細胞はうまく機能せず、人体の免疫システムバランスが崩れてしまい、病気になりやすい状態になります。
近年わかったのはミトコンドリアがアポトーシス、つまり細胞の自然死の司令塔であることです。アポトーシスは人体にとって命にかかわる重要なシステムです。病気になった細胞、古くなった細胞がアポトーシスによって自然死し、新しくよく働く細胞が生まれたり、病気から遠ざかったりすることが可能になります。例えばがん細胞の自然消滅もミトコンドリアが重要な役割を果たしています。毎日数千個発生するがん細胞が癌にならず済んでいるのは、アポトーシスがうまく機能しているからです。また、残念ながら癌になった時、がん転移にもミトコンドリアが関わっています。ミトコンドリア独自の遺伝子に異変がおこると、癌が転移しやすくなることがわかっています。がん細胞は更に、自分の異常なミトコンドリアを、周りにいるまだ正常な免疫細胞に移動させ、免疫細胞の働きを弱め、がん細胞を攻撃できなくなるように仕込んでいます。このように、ミトコンドリアの機能が弱まると、代謝がうまくいかなくなるだけでなく、免疫システムもおかしくなり、寿命を縮めてしまいます。
⑤経絡運行:「陽の気」の循経運用=ミトコンドリアが細胞間で行うエネルギー輸送
鍼灸医学でいう「経絡」は「陽の気」を含めた「気」と「血」の循環通路です。経絡は全身に分布し、体表と内臓(五臓六腑)をつなぎ、生命活動の状態を支配・反映しています。経絡上に経穴(ツボ)があり、ツボを鍼或いはお灸で刺激することにより、経絡を循環している気血の滞りを疎通させ、筋肉や内臓の機能改善を図ります。例えば、足の脛にある「足三里」を刺激することにより、胃もたれ、胃の痛み、便秘を治せます。「足三里」は「胃の経絡」上にあるツボです。また、足の痺れや筋肉の痛みも、「足三里」の鍼をします。「陽の気」は経絡を滞りなく、または十分なエネルギーをもって循環できていれば、皮膚、骨、筋肉、内臓、血管、神経も元気な状態を保つことができ、病気から遠ざかります。その反対であれば、病気になってしまいます。
一方のミトコンドリアはどうでしょうか。今までのイメージですと、ミトコンドリアは細胞の中にじっとしていて、一つ一つ独立しているのですが、近年の研究でわかったのは、ミトコンドリア同士は仕事の内容によって、ダイナミックにくっついたり、離れたりしています。そして、なんと、細胞と細胞の間を移動しています。この移動によって、細胞同士の状態確認、免疫シグナルの伝達を行っています。また、弱まっている細胞に別の細胞の健康なミトコンドリアを移動させることにより、弱まっている細胞にエネルギーを注入し、再び元気に再生させることもしています。まだまだわからないことのほうが圧倒的に多いですので、ミトコンドリアが細胞間での移動によって果たされる役割は今後少しずつ見えてくることを期待しております。
いかがでしょうか。目に見えない「陽の気」、目に見えるミトコンドリアの機能、二者には確かに共通点はいくつも見つかります。
そして、私は想像を膨らませます:そもそもの始まりは宇宙の混沌から「気」が生まれ、そこから「陽の気」と「陰の気」に分かれていきます。やがて40億年前に地球には生命(海に小さい微生物)が誕生したものの、酸素による絶滅から生命を救うために、「陽の気」がある種の細菌に凝集し変化をもたらしたのがミトコンドリアの前身となるバクテリアか、これは20億年前のこと。そして、約30万年前に、今の私たちと同じホモ・サピエンスが誕生し、当然人間はミトコンドリアを持つ細胞の大きな集合体ですが、そこから更に長い年月を経て、約2000年前に東洋・鍼灸医学では人体における「陽の気」を定義し、この定義の中にはミトコンドリアの機能の一部も含んでいます、もちろん、東洋医学は終始ミトコンドリアそのものを意識していません、物事を捉える次元は顕微鏡下の世界と違いますから。面白いですね!











