どうして鍼灸は効くの(56)?
前回では、HSPの免疫調節作用をみてきましたが、今回は代表的な免疫細胞であるリンパ球の一種、ヘルパーT細胞に対する鍼灸の調節作用を見ます。
2、Th1/Th2のバランスに対する調節作用
獲得免疫系の主役であるリンパ球にはT細胞とB細胞があります。T細胞は樹状細胞などの抗原提示細胞により活性化し、ウィルス感染細胞をや癌細胞を破壊します。これは細胞性免疫といいます。B細胞は抗体を分泌し、抗原抗体反応を起こすことにより抗原を排除します。これは液性免疫といいます。機能によりT細胞を更に、ヘルパーT細胞、細胞障害性細胞、制御性T細胞(regulatory T cell : Treg)に分類されます。
ヘルパーT細胞は産生するサイトカインの違いによって、更にTh1細胞、Th2細胞、Th17細胞に分別されます。Th1はインターフェロンγ(IFN-γ)、インターロイキン-2(IL-2)などを産生して、ナチュラルキラー細胞、マクロファージ、B細胞、細胞障害性T細胞を活性化します。Th2はインターロイキン4・5(IL-4・IL-5)などを産生してB細胞を活性化します。Th17はIL-17を産生して炎症反応に参与します。ここで注目したいのはTh1とTh2のバランスです。
Th1細胞はマクロファージや細胞障害性T細胞を活性化する一方で、IgE抗体の産生を抑制する働きもあります。免疫応答では細胞性免疫になります。Th2細胞はIL-4を産生することで、B細胞からIgE抗体の分泌を促進させますので、アレルギー反応を起こします。免疫応答では液性免疫になります。Th1とTh2は拮抗的に作用し、お互いにその機能を抑制、調節し合っています。つまり、Th1細胞が優位になるとTh2細胞反応が抑制され、逆にTh2細胞が優位になるとTh1細胞反応が抑制されます。
Th1細胞が優位になり過活動状態に陥ると、炎症性サイトカインの産生が必要以上に多くなり、慢性関節リウマチなどの自己免疫疾患にかかるリスクが高くなります。Th2細胞が優位に働くと、免疫グロブリンの産生が亢進し、花粉症やハウスダストアレルギー反応が発生しやすくなります。国民病と言われている花粉症などのアレルギー疾患の罹患率は近年非常に高い状態にあり、その原因はいくつか考えられます:
・生活環境:現在日本の社会・住宅環境が非常に快適且つ清潔になり、戦前において大勢の命が奪われた伝染病・寄生虫病はほぼ絶滅になり、平均寿命は30歳代から現在の80歳代までに伸びてきました。しかし、日常生活において、細菌・ウイルスへの接触が相当減少したため、細菌・ウイルスに対処するために活躍するTh1が非活動的になり、Th1/Th2のバランスが崩れ、逆にTh2細胞が過剰となり、アレルギー疾患になりやすい体質に変化してきたのではないでしょうか。
余談ですが、うちの院長先生は50年前に中国の総合病院で内科勤務医として働いていた頃、毎日大勢の伝染病患者に接触していたため、血中白血球の数は常に7,000以上だったにもかかわらず、患者さんと同じ伝染病にうつされたことは一度もありませんでした。しかし、院長が日本に来てからしばらくして、白血球は3,000台に落ちたと同時に蕁麻疹、のち通年性のアレルギー性鼻炎になったそうです。「花粉症」という病名も日本に来てはじめて聞かされたそうです(現在中国でも同じ花粉症という病名が出てきました)。
・抗生物質の過剰投与:少子化が続いている中、日本でも長い間、お子さんの体調が良くないと周囲の大人がすぐに、必要ではない抗生物質を飲ませたりすることは続いていました。抗生物質により腸内細菌群のバランスが破壊され、体に有益な菌までが死滅させられることになります。ところが腸内細菌はTh1細胞を誘導する役割があって、腸内細菌の減少により、Th1細胞が減り、一方のTh2細胞が優位になります。これも小児アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎(花粉症を含む)、小児喘息などのアレルギー疾患の誘因となりました。大人も同じで、不適切な抗生物質の過剰投与は大人のアレルギー性疾患にも悪い影響をきたしていると考えられます。今は厚生労働省から「抗微生物薬適正使用の手引き」などのガイドラインが医療従事者向けに出され、不適切な過剰投与、それによる薬剤耐性(AMR)、AMRによる院内感染などの一連の問題に取り組んでいます。
・身体の抗酸化能力の低下:体内の抗酸化物質の減少は直接活性酸素の増加につながります。抗酸化物質は自然界に、私たちの食事にたくさんあります。よく知られているのはACES(ビタミンA、ビタミンC、ビタミンE、セレン「Selenivm」)、ポリフェノール、レスベラトロール、カロテノイド、カテキンなどがあります。生体由来の抗酸化物質は尿酸、アスコルビン酸、グルタチオン、メラトニン、オロビリノーゲンなどが挙げられます。そして、抗酸化酵素として活躍するのはスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)、カタラーゼ、ベルオキシレドキシンなどがあります。活性酸素が増加すると、細胞の老化及び遺伝子変異、疾患で言えば、動脈硬化、心・脳疾患、癌などの増加につながります。そして、アレルギー性疾患にも悪影響を与えると知られるようなりました。つまり、精神的なストレス、肉体的過労、不摂生な生活、食品添加物質などによる身体の抗酸化能力の低下(体内の抗酸化物質の減少)はTh2細胞を誘導し、Th2細胞を優位に働かせ、アレルギー体質を招いてしまいます。
・食事スタイルの欧米化:今のコロナ渦では、まず個人の高い免疫力を維持するのは、どんな変異ウィルス或いは別の新型ウィルスにも対応できる一番確実な方法です。以前のブログでもお話した通り、栄養面で考えた場合、免疫力を維持するのはまず良質なたんぱく質を摂る必要があります。鶏肉、豚肉の赤身に代表されるような動物性たんぱく質はとてもいい栄養源です。しかし、何事もバランスが大事で、昨今食事の欧米化により、脂肪分の高い肉類の摂取が過剰になるケースがあります。お肉に含まれるアラキドン酸は不飽和脂肪酸の一つで、必須脂肪酸として子供の脳と身体の成長に欠かせない重要な栄養素ですが、ただその過剰摂取によって、高血圧、動脈硬化、大腸・乳・肺・前立腺などのガンが増えてきただけではなく、アレルギー性疾患も増加してきました。その原因はやはりTh2細胞の生成誘導に働きかけて、Th1/Th2のバランスを破壊することにあると考えられます。
実際には、身近で効果が確実な治療法は一つあります:鍼灸治療です。しかも副作用がありません。
上海体育学院と上海中医薬大学との連携で、鍼灸のTh1/Th2バランスに対する影響を調べた研究があります。従来、大負荷訓練メニューをこなすスポーツ選手たちは度々、訓練中や訓練後に感染症にかかり、訓練を中止したり試合に出られなかったりすることがあります。その原因は、Th1/Th2のバランスが崩れ、Th1細胞が減少しTh2細胞が優位になり、自然免疫、細胞性免疫が低下し風邪、肺炎などの感染症にかかりやすくなります。
研究グループは上海体育学院訓練センターで訓練を受けている12名マラソン選手を対象にし、灸治療を受けるグループ6名(治療組)と受けない6名グループ(非治療組)に分けました。第1週は適応訓練週、第2~4週を大負荷訓練週間にし、第5週は調整訓練週でした。灸治療グループは訓練後の毎晩に30分の温灸(棒灸)治療を受け、週に6回、計4週間を行っていました。そして訓練の第1週末、第4週末、調整訓練後の5週末に、この2グループのIFN-γmRNAとIL4-mRNAを測定しました。
非治療組は訓練後のIFN-γmRNA値とIFN-γmRNA/IL-4mRNAの比率は上昇しましたが、調整訓練週末から大幅に下降してしまいました。IL-4mRNA値は持続的に上昇し訓練前の4.39倍になり、言い替えればIL-4を産生するTh2細胞が増え続けていました。ところが、灸治療組は最初非治療組と同様にIFN-γmRAN値とIFN-γmRAN/IL-4mRANの比率は上昇したが、調整訓練週に入った後も下降傾向は見られなく、IL-4mRNA値の上昇はわずかで、訓練前の1.14倍でした。
同研究グループはまた別の角度から鍼灸のTh1/Th2バランスに対する調節効果を実験し、それぞれの転写因子の変化を測定した結果から更に鍼灸の治療効果を確認しました。
T細胞は骨髄で産生されてからほとんど胸腺(1次リンパ組織)で分化・成熟します。成熟したT細胞は循環血液の中に放出され、脾臓、リンパ節(2次リンパ組織)などに入っていきます。まだ病原菌などの抗原刺激を受けていない未感作CD4陽性T細胞をナイーブT細胞(Th0)と言い、Th0からTh1に分化するか、またはTh2に分化するかは、樹状細胞などの抗原提示細胞から分泌するサイトカインによって決められています。
樹状細胞などの抗原提示細胞が放出するIL-12は転写因子STAT4*27を介してIFN-γを産生し、Th0からTh1細胞へ分化するよう誘導しますが、INF-γ自身がINF-γを産生するTh1細胞への分化を誘導することもできます。INF-γの下流にある転写因子のSTAT1を介し、同じように転写因子として機能するT-betを活性化することによって、IFN-γの産生が亢進し、Th1細胞への分化を促進します。
同様に、抗原提示細胞から放出するIL-4の刺激を受けて、転写因子のSTAT6を介して、下流の転写因子GATA-3の転写活動を活性化させ、Th2細胞への分化誘導が強められ、Th2細胞が増えます。
そのため、研究グループは鍼灸による転写因子T-betとGATA-3への影響に注目しました。マウス実験でT-bet/GATA-3のバランスはTh1/Th2のバランスに直接影響することが分かり、T-betが過剰に発現すればTh1細胞が多くなり、逆にGATA-3の過剰発現がTh2細胞の増加につながります。
研究グループは前出の研究対象のマラソン選手のT-betとGATA-3の発現レベルを測定しました。T-bet mRNA/GATA-3 mRNAの比の変化を見てみると、非灸治療組は大負荷訓練後が訓練前より13.58%上昇しましたが、調整訓練週末になると訓練前より29.63%も下降し、全体的には下降傾向きであった。灸治療組は大負荷訓練後が訓練前より75.16%も上昇し、調整訓練週末においても訓練前より35.40%の上昇を維持し、終始上昇傾向でした。結論としては、お灸の刺激で転写因子GATA-3の過剰発現を抑制し、IL-4、Th2細胞の産生量を調節することによって、その都度選手たちのTh1/Th2のアンバランスを是正していました。
ひと昔、日本より花粉症とアトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患の少ない国・地域では、むしろ細胞性免疫や自然免疫の低下は問題視されていました。そのため、前文の研究目的は灸治療でTh1細胞の減少を防ぎ、感染症を予防するための免疫力を回復させることですが、実際に鍼灸臨床では人体の免疫力を高める効果だけでなく、多くの方が困っているアレルギー疾患と自己免疫疾患に対する治療効果もてきめんです。そのメカニズムはいくつかありますが、一つは鍼灸の刺激でTh1/Th2のアンバランスを矯正することにあります。前回のブログでも言及しましたが、鍼灸の治療効果は体内環境のあらゆる場面での「健康維持に適切なバランス」を保つことです。今回のブログで限定して言えば、Th1とTh2のそれぞれの極度な過不足を無くし、人体にとってちょうど良いバランスに戻し、且つ保つことです。
*27 STAT4:シグナル伝達兼転写活性化因子の略語で、シグナル伝達と転写活性化両方の働きを持つたんぱく質です。これまで同定されたSTATファミリーに属する分子はSTAT1、STAT2、STAT3、STAT4、STAT5A、STAT5B、STAT6の7種類があります。
このシリーズの内容は当治療院の許諾を得ないで無断で複製・転載した場合、当治療院(=作者)の著作権侵害になりますので、固く禁じます。