どうして鍼灸は効くの(55)?
5-3、鍼灸による免疫調節作用
昔で言う「抵抗力」という言葉の代わりに今は「免疫力」という単語を頻繁に使われるようになってきました。まだ多くの謎が残っているものの、免疫系に関しては現在遺伝子・分子レベルで解明されつつあり、わかっている内容だけで、その仕組は実に複雑且つ合理的であることがわかります。
人間の免疫系は自然免疫(先天免疫)と獲得免疫(特異免疫)の協調作用により成り立っています。自然免疫に関わる細胞は、貪食細胞(好中球やマクロファージ)、ナチュラルキラー(NK)細胞、免疫提示細胞(樹状細胞など)などがありますが、獲得免疫を担っている細胞はリンパ球です。自然免疫系は、病原性微生物が体内に侵入すると直ちに活性化し機能する免疫応答機構です。獲得免疫系は自然免疫系のように最初からは活動しませんが、微生物に感染され数日が経った後に機能しはじめます。リンパ球は細胞表面にある抗原受容体が外来抗原を識別し、微生物を中和したり除去したりできます。また高親和性受容体をもつリンパ球は認識特異性および免疫記憶があり、長期間体内で持続して存在できますので、同じ外来抗原が再び体内に侵入すると迅速な免疫応答が起きます。
免疫に関わる多種多様な細胞や免疫担当分子(たんぱく質)は体系化され、大変複雑ですが、バランスよく効率的に機能する免疫系が形成されます。免疫系のバランスや機能を調整する物質はたくさんありますが、その一部の物質及びそれをバランスよく調節できる鍼灸の働きを紹介させていただきます。
1、熱ショックタンパク(HSP)による免疫調節
このシリーズ「どうして鍼灸は効くの「46」?」(2020年9月9日公開)にてHSPによる細胞再生、組織修復などの機能について紹介させていただきましたが、今回では特にHSPが免疫系に果たす重要な役目をご説明いたします。前回のブログでお灸による治療と免疫増強との関係を述べさせていただきましたが、HSPはお灸の熱によっても増加しますので、前回と今回のブログを合わせてご覧いただいてもいいかもしれません。さて、HSPの話に入る前に、免疫系に関わるいくつか踏み込んだ予備知識をご紹介させてください。
・免疫系では「自己」、「非自己」という概念があり、保全すべき自分自身の組織を「自己」、排除すべき相手を「非自己」といい、例えば移植された他人の組織細胞、外部から侵入してきたウィルス、細菌などが全部「非自己」になります。この識別を担っているのは細胞表面に発現している糖タンパク質であるMHC(主要組織適合抗原複合体)です。特に「非自己」の目印となる物質は抗原です。抗原を排除する中心的な役割を果たす免疫細胞はリンパ球で、リンパ球が「非自己」である抗原だと識別できるのは細胞表面に抗原とぴったり噛合う、鍵(=抗原)と鍵穴の関係のような構造を持っているからです。この構造を抗原レセプターといいます。1個のリンパ球は1種類のレセプターしか持っていません。
・より効率的に「非自己」を排除するために、遊離型抗原レセプターを大量に合成して血液や体液に放出したほうがいいですので、この作業を行うのはB細胞と呼ばれる免疫細胞で、大量に放出される抗原レセプターが抗体(免疫グロブリンIg)と呼ばれ、抗原と特異的に反応して液性免疫を行います。B細胞以外のリンパ球は胸腺で分化するT細胞があり、細胞性免疫を果たします。
・T細胞は免疫系の要だと言われ、病原性微生物に囲まれて生きている人間にとってはなくてはならない最も重要な免疫細胞です。余談ですが、以前のブログ(「再びの「丸山ワクチン」」、2016年11月11日に公開)で樹状細胞とT細胞との関係性を言及しており、免疫系全体が機能するために、決して一つだけの免疫細胞が頑張れば済むという話ではなく、このブログでも示したように、樹状細胞が活性化できなければ、T細胞の一部も働かないため、常に免疫系全体のバランスを考慮する必要があります。さて、T細胞の機能によって、「非自己」細胞を殺す働きをする細胞傷害性T細胞(キラーT細胞)、B細胞の抗体産生・細胞分化、キラーT細胞の分化・機能強化などを助けるヘルパーT細胞、免疫の暴走を抑制し免疫バランスを調節する制御性T細胞と大別されます。制御性T細胞はTreg細胞とも言い、新型コロナウィルスによる重症化を防ぐ役割もあり、以前のブログ(2020年4月19日に公開、「“重症化しない”がキーワード-withコロナ時代に生きる」)で言及しております。
・T細胞の抗原レセプター(TCR)は2本のペプチド鎖からなり、α鎖・β鎖のものとγ鎖・δ鎖のものがあります。αβT細胞は主流で血液とリンパ組織の中に存在します。γδT細胞は数パーセントしかありませんが、表皮や粘膜など病原体が侵入しやすい場所に多く分布しているため、抗原(病原体)に直接攻撃でき、自然免疫に近い反応をしながら、生体防御の第一線で働いています。また、γδT細胞は樹状細胞からの抗原提示を必要とせず、MHCクラスⅠ(後述)を隠した癌細胞を直接攻撃できる点から、近年癌治療の研究利用が進められております。
・1個のT細胞は無数に存在している抗原から一種類のものとだけ反応することを抗原認識といいます。T細胞の抗原レセプターTCRは単独な抗原には反応せず、反応するのはMHC(主要組織適合抗原複合体)の溝に乗せられた抗原ペプチドとの組み合わせです。つまり、TCRは抗原とMHCとの結合体にしか反応しません。
・MHCにはクラスⅠとクラスⅡがあります。クラスⅠはほとんどの組織細胞に存在し、クラスⅡは樹状細胞・B細胞・大食細胞のマクロファージなど、ごく一部の細胞上にしか存在しません。
・T細胞表面には様々な分子が存在しますが、モノクロナール抗体分析法により、CD4分子をもつT細胞とCD8分子をもつT細胞とに大別されます。CD4陽性T細胞はMHCクラスⅡ分子とともに提示された抗原に反応しますが、CD8陽性T細胞はMHCクラスⅠ分子とともに提示された抗原に反応します。
・細菌などの外来性抗原に対して、抗原提示細胞が細胞膜でそれを包み込む形で自分の中に取り込んで、エンドソームという抗原を含有する小胞を形成します。エンドソーム中で外来性抗原が分解され生成されたペプチドがMHCクラスⅡ分子に結合し、抗原ペプチドを保有するMHCクラスⅡは細胞膜へと運ばれて表出します。
・内因性抗原は、抗原提示細胞内で増殖し細胞質に存在する抗原で、MHCクラスⅠ分子のペプチド収容溝(比較的小さい)におさまる大きさの抗原ペプチドに分解する酵素の助けが必要になってきます。その酵素は細胞質に存在する円筒状の巨大酵素プロテアソームです。プロテアソームにより分解されたペプチド断片が、ポンプ作用をしているTAP分子によって粗面小胞体内へ運ばれ、そこでMHCクラスⅠ分子に結合し、抗原ペプチドを保持したMHCクラスⅠは細胞膜へと移動し膜上に表出されます。
・抗体はBリンパ球が外来性や自己抗原に反応して粗面小胞体で作られたタンパク質です。抗体分子の基本構造は4本のポリペプチド鎖からできています。2本の短いL鎖(軽鎖)と2本の長いH鎖(重鎖)からなるポリペプチド同士のジスルフィド結合でできていて、Y字型で複雑な立体構造をしています。
それでは、熱ショックたんぱく質(HSP)は免疫系に対してどんな働きをするのかを見ていきます。よく知られているのは、HSPによるリンパ球、樹状細胞の活性化と細胞数を増やす作用ですが、それ以外のいくつかの効果を列挙させていただきます。
(1)抗原提示における働き:ウイルス由来のタンパクなどの内因性抗原がHSPの分子シャペロン作用でプロテアソームに輸送(ローティング作用)して、そこで適度な大きさのペプチド断片に分解されていきます。分解されたペプチドがまたHSPによって小胞体の膜に存在するTAPというポンプを通過して内腔に輸送されます。内腔でMHCクラスⅠ分子と結合して、抗原ペプチドとしてゴルジ装置を介して細胞表面へと運ばれ表出して、キラーT細胞(CD8陽性T細胞)などに対して抗原を提示します。そこからようやく、キラーT細胞などの食細胞は内因性抗原が含まれる細胞(病的細胞あるいは異常細胞)を処分する行動を始めます。
通常、細菌・原虫などの大部分の外来性抗原は、抗原提示細胞によりエンドソーム内に取り込まれて分解されます。分解された抗原ペプチドは、小胞体でMHCクラスⅡと結合し細胞膜へと表出され、CD4陽性T細胞に抗原提示します。一方で、ウィルス感染細胞や癌細胞などの一部の外来性抗原に対しても、一部の樹状細胞だけがCD8陽性T細胞に抗原提示できます。これらの樹状細胞はウィルス感染細胞や癌細胞を取り込み、内因性抗原の処理と同じように、HSPの分子シャペロン作用で小胞体に入りそこでペプチド断片に分解され、MHCクラスⅠに結合して細胞表面に表出します。こうして、このような一部の外来性抗原に対してもCD8陽性T細胞が反応できるようになります。このようなことを交差抗原提示といい、この仕組みがなければ我々は癌細胞やウィルス感染細胞に対して無力になります。交差抗原提示にもHSPが重要な役割を果たしていることがわかります。
(2)クラスリンタンパク分解作用
抗原提示細胞の食細胞などは外来性抗原を飲み込んでエンドソームという小胞内に入れます。しかし、抗原を処分(殺菌)するにはリソソームという酵素が必要で、リソソームを含有する小胞と抗原を含有するエンドソームとの接合がなければいけません。そこで、HSP70がエンドソームを形成する骨格としてのクラスリンタンパクを分解して、リソソーム小胞とエンドソーム小胞を融合させ、リソソームの抗原処分を助けます。
(3)オートファジー作用
オートファジーというのは、細胞質成分や細胞内小器官をリソソーム小胞に運んで、加水分解してから再び利用する機構です。例えば飢餓など栄養不足の時、細胞内の物質を一部分解して栄養源として飢餓をしのぐのは、オートファージの働きです。免疫機能と関係するのは、樹状細胞などの抗原提示細胞がウイルス由来タンパクなどの内因性抗原をオートファージによりリソソームへと運んで抗原ペプチドに分解するところです。ここで働いているのもHSP70の分子シャペロン作用です。
(4)抗体形成補助作用
小胞体で抗体が形成される時、HSPは免疫グロブリンのH鎖にくっつき、H鎖同士が会合するのを防ぎ、H鎖とL鎖とが正しく重合するのを助けて、抗体生成を幇助します。
(5)抗腫瘍免疫作用
細胞が癌化すると細胞内にHSPが発現します。γδT細胞が腫瘍細胞内のHSPに反応して、樹状細胞から抗原提示なしでも直接腫瘍細胞を殺傷します。こうしてHSPがγδT細胞に対して腫瘍抗原を提示する働きもします。また前述の抗腫瘍免疫で重要な役割を果たしている交差抗原提示においてもHSPの働きは必要不可欠です。
(6)傷害関連分子パターン(DAMPs)としての働き
怪我、火傷、体外から進入してきた有害物質により傷害を受けた細胞からHSPなどが遊出します。大食細胞のマクロファージなどがHSPなどに反応し、炎症性サイトカインを産生して有害物質の処理や傷害組織の修復作業を促進します。HSPはまた傷害関連分子パターン(DAMPs)*26としても働きます。
以上の内容でHSPが免疫系にとっていかに重要なのかはよくわかります。このHSPを増加・活性化させるのはお灸の役割です。有痕灸は勿論、無痕灸であっても最初は温かく感じますが、次第に熱さから変化した痛みを感じるようになります。この時点で、お灸の熱さはすでに45℃を超え、このくらいの温度でもHSPの威力を動員できます。
ここまで書くと、「それだったら、これから毎日、たくさんの熱いお灸を体に据えればもう完璧じゃない?」と思われがちですが、現実の世界では決してそうにはなりません。そのようなことをやれば逆効果で、健康になるどころか、逆に体に創傷や強いストレスを与えてしまい、免疫力が下がり、別の新たな病気を招いてしまう可能性があります。何事もバランスが大事で、お灸の熱さも、据える数も、据える頻度も、据える場所(ツボ)も、その方に合うちょうど良いバランスが必要です。そのバランスの範疇から離れてしまった時、お灸の効果は期待できないか、逆効果になるかのどちらかになってしまいます。東洋医学の基礎理論にある、相互依存しながらも対極にあるように見える二つの事象のバランスを保つという考え方からもこのようなことを示唆してくれています。
古代から、医学(ここでは東洋医学を指す)と儒学が互いに通じ合っていると考えられております。儒学の中心的な思想には「中庸」があります。簡単に中庸を解釈すれば、偏りなく適度で、最も良いバランスが取れていることです。かなり余談になってしまい、申し訳ございません、「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」(東京・小石川後楽園の名前の由来になった)という言葉を残した、北宋朝の藩仲淹(思想家、政治家、文学家)は「不為良相 便為良医」という言葉も残してくれました。
*26 傷害関連分子パターン(DAMPs):怪我、火傷、病原微生物などにより細胞・組織が傷害を受けたとき、壊れた細胞からATP、尿酸、核酸、HSPなどの物質が遊出します。マクロファージなどがこれらの物質に反応してTNF-α、IL-6などのサイトカインを産生して炎症反応を起こすことで、生体に危険が及んでいることを知らせます。このような反応をもたらす物質を傷害関連分子パターン(DAMPs)といいます。
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紫陽花の季節がまたやってきました。梅雨で喜んでいるのは紫陽花ですね!
今年の麦秋も希望を与えてくれます^-^
夕方の麦畑