どうして鍼灸は効くの(12)?
こんにちは。渋谷区幡ヶ谷の胡鍼灸治療院です。
4月28日の予告通り、本日新しいシリーズの第一回目を始めます。まず鍼灸の基礎からゆっくり見ていき、徐々にどうして鍼灸が実際に効くのかについて、わかりやすいように西洋医学的な根拠を皆様に示したいと思います。
今日の日本では、鍼灸という言葉を聞いたことのない方はもう少数派かもしれませんが、鍼灸の歴史と現状について、もう少し詳細に紹介させていただきます。
一、鍼灸治療法はいつ頃から始まったのか
今から250万年前に遡ると、中国大陸で現代中国人の祖先がすでに生活していて、そして既に鍼灸治療は始まっていました。そういう”治療”でしょうか。見てみましょう。
1、原始刺鍼法
原始社会の集団生活で、怪我が化膿したり、打撲などで皮下出血すると、原始人たちは石の尖っている部分を使って膿や血を出したりするという原始的な手術をやっていたと考えられています。やがて頭や歯が痛い時、尖っている石を体のある場所に当てると、痛みは和らいだり止まったりすることは知り、石を使って原始的な鍼治療を始めたと思われます。
旧石器時代(約170万年-69万年前)には、まだ医療専用の道具はなかったが、適当な形の石を治療目的に使っていました。この治療に使った石を「砭石」と言います。後漢の許慎が書いた中国のもっとも古い漢字解説書の『説文解字』には、「砭石を以って病を刺すなり」との記載があります。また中国古代の地理書『山海経・東山経』には「高氏(地名、河南省禹県の西南)の山、その上には玉が多く、その下には箴石が多い」と記され、ここでは医療に使われている石のことを箴石と言っています。
本格的な鍼治療は長い旧石器時代を経て新石器時代(約1万年前?紀元前21世紀)に入ってからのことです。精巧な石鍼が作られいろいろな治療目的に使われていました。その後、骨鍼、竹鍼になり、青銅器時代と鉄器時代になってからは、銅製と鉄製の金属鍼が使われるようになりました。現在最もよく使われているのはステンレス製の鍼で、ほかには金鍼、銀鍼もあります。
2、原始灸治法
旧石器時代の初期に中国原人たちは火の利用法を知っていました。火を使い始めてから、特に北方の遊牧民族は寒さによって痛くなった関節や筋肉に火を当てれば、痛みは和らいだり治ったりすることを経験からわかっていました。また、火を使う時に不用意にできたやけどから違う場所の病が軽減されることも時々経験しました。やがて原始人たちは痛い箇所を火に当てたり、体に少々やけど(火傷)を負えばお腹の痛みや、激しい咳が止まったりすることは分かってきました。
このように長い間で生活の実体験を積みあげ、原始的な灸治法が形成されてきました。最初は身近にある枯れ葉とか草に火をつけて体に温熱刺激を与えましたが、次第にヨモギという植物に辿り着きました。ヨモギは最も点火しやすく、燃え具合もよく、持続時間が長い上、熱の伝わり方は心地よいからでしょう。新鮮なヨモギを干して加工を加えると艾(「もぐさ」と発音しますが、「燃えやすい草」の訛音ではないでしょうか)になります。艾は代々伝わってきて、今の時代も人々に愛用されています。
二、鍼灸治療法の理論的な裏付けはあるのか
鍼灸治療は中国医学の治療法の一つです。中国医学は中国大陸で発足し、数千年の長い年月の錬り磨きにより確立、発展された医学で、「中医学」の略称を持ちます。鍼灸治療学の形成と確立は、中医学の基礎理論と臨床医学の確立と発展と共に出来上がったものです。
最も古く権威的な中国医学の専門書は有名な『黄帝内経』です。この著書は一人の作品ではなく、戦国時代(約紀元前450年)から、秦・漢王朝を経て隋・唐に至り、また宋代(紀元960年)に入ってから、大勢の医家の知恵と経験により修訂・補充され、現在の完成本になったと考えられています。
ところで、つい最近『黄帝内経』が作られた年代よりずっと前に鍼灸治療学の基礎理論がすでに記載された文献が発見されました。1973年に湖南省長沙にある馬王堆漢墳より出土した帛書に『足臂十一脈灸経』および『陰陽十一脈灸経』が記載されています。1984年に湖北江陵張家山の漢墳から出土した竹簡にも同じような記載があります。『足臂十一脈灸経』と『陰陽十一脈灸経』には十一経脈の流れ、病候の表現、灸のすえ方などについて詳しく説明されています。その後の『黄帝内経』はそれに基づいて、陰陽学説、臓腑関係などの内容を補充し発展させたと思われます。
『黄帝内経』は、人間の健康と生活環境、飲食起居、情緒欲望、季節気候、天文地理などとの関係、人体の構成、五臓六腑間の関係、経絡運行と経穴(ツボ)の位置・取り方、病気になる原因、病気の病理変化、診断の理論根拠、治療方法、薬剤処方、養生調理などが詳説されています。現在の中医学の進歩と健全化に多大の貢献を与え、中国の中医臨床医師と研究者たちは今だにこの書を理論根拠にして仕事をしています。
『黄帝内経』は、「素問」経と「霊枢」経の二大部分からなっています。前半の「素問」経は八十一篇があり、そのうちの二十篇は主に鍼灸について論述しています。後半の「霊枢」経も八十一篇からなりますが、鍼灸についての内容は八割を占めています。そのために「霊枢」経は「鍼経」とも言われています。
『黄帝内経』の後、『黄帝八十一難経』(漢・建武元年-建安10年)、『傷寒雑病論』(後漢末期の建安年間、紀元200年-210年・張仲景)、『鍼灸甲乙経』(魏・甘露元年-普太康3年、紀元256-260年・黄甫謐)、『肘後備急方』(晋・葛洪)、『備急千金要方』(唐・永徽3年、紀元652年・孫思邈)、『銅人腧穴鍼灸図経』(北宋・紀元1026年・王惟一)、『鍼灸指南』(元貞元年・紀元1295年・竇黙)、『十四経発揮』(至正元年、1341年・滑寿)、『鍼灸大成』(明・隆慶29年・紀元1601年・楊継洲)などなど、枚挙できないほど数多くの医学書と鍼灸専門書が問世されていました。鍼灸についての基礎理論、臨床規範、経絡の流れと経穴の定位(取り方)、機能効用、刺鍼手法(鍼の刺し方)、臨床効果等について、更に深く細かく研究されていました。
次回は鍼灸理論について触れていきます。
メタセコイヤの並木です。