どうして鍼灸は効くの(27)?
今回は疼痛に関与する物質と鍼灸との関係を見ます。
(5)疼痛に関与する物質への調節作用
痛みに関与する物質は様々で、痛みを緩和するもの、また痛みを起こすもの。例えば痛みを起こす物質のことを發痛物質といい、その作用機序により内因性發痛物質、外因性發痛物質、發痛増強物質に大別されます。鍼灸はこれらの物質に対してどんな影響があり、そしてどんな治療効果があるのか、具体的に見ていきたいと思います。
①アデノシン(Adenosine)
アデノシンがアデニン(プリン塩基)とリボース(五炭糖)からなるヌクレオシドの一つで、ATP(アデノシン三リン酸)の分解産物です。アデノシンはATPの機能に参与しATPやADPの一部としてエネルギー輸送、遺伝情報コード、細胞間のシグナル伝達などの働きをしています。しかし、ATPと違うところは、ATPが痛覚過敏を引き起こすのに対して、アデノシンは鎮痛作用を持ちます。そのメカニズムは、
○アデノシンはA1受容体に結合することでGiタンパク*3を活性化させる。活性化したGiタンパクはATP依存性K⁺チャンネル*4を活性化し、神経細胞膜過分極を引き起こします。その結果、疼痛のインパルス伝達が抑制され鎮痛効果をもたらします。
○アデノシンは中枢神経系において抑制伝達物質として働くので、安定・鎮静・催眠作用があり、疼痛への不敏感化、疼痛閾値の調節により鎮痛効果が出ます。
○アデノシンは抗炎症作用がありますので、炎症による疼痛増悪が抑えられ痛みは改善されます。
2010年にアメリカロチェスター大学の医学センターGoldman教授らが《Nature Neuroscience》雑誌に発表した論文には、鍼を疼痛モデルマウスのツボに刺すとアデノシンの放出が増加し濃度が上昇して30分でピークに達したそうです。ただしA1受容体を除去すると鎮痛効果が現れてこなくなり、A1受容体の選択的アゴニスト*5[2-chloro-N(6)-cyclopnetyladenosine CCPA]を注射すると鍼鎮痛効果を複製できます。そしてアデノシン分解酵素抑制剤の使用により、高濃度のアデノシンが長期間体内に抑留し、鍼の鎮痛時間が延長されると述べていいます。結論としては、鍼刺激はアデノシンの分泌を促進し、鍼治療による鎮痛効果にはA1受容器も関与しています。
②γ―アミノ酪酸(γ-aminobutyric acid GABA)
神経細胞同士や神経細胞と筋線維の間の情報伝達はシナプスによって完成します。シナプス伝達にはギャップ結合(心筋細胞や平滑筋細胞)の電気シナプスと神経伝達物質の放出による化学シナプスがあります。化学シナプスには興奮性と抑制性のものがあり、興奮性シナプスはシナプス後細胞で興奮性シナプス後電位(EPSP)が生じ、細胞膜を脱分極し活動電位を発生させます。それに対して、抑制性シナプスは抑制性シナプス後電位(IPSP)が生じ、EPSPを減少して抑制効果をもたらします。IPSPをもたらす神経伝達物質を抑制性伝達物質といい、γ―アミノ酪酸(GABA)はその一つです。
GABA(γ―アミノ酪酸)が中枢神経系(大脳基底核、小脳プルキンエ細胞、脊髄介在ニューロンなど)にしか存在してない抑制性神経伝達物質で、受容体はGABAAとGABABの2種類があります。GABAA受容体が活性化すると、CI⁻を透過するチャネルは開き、シナプス後細胞膜を過分極させて抑制効果をもたらし、中枢神経の疼痛に対する感覚を軽減させます。GABAA受容体はシナプス後抑制だけではなく、脊髄に存在する抑制性介在ニューロンを介してシナプス前抑制にも働きます。GABAB受容体はGタンパクを介してK⁺チャネルを開孔して膜の過分極をさせ、疼痛感覚を伝えるC線維などの興奮伝導が抑制します。GABAは抑制性神経伝達物質として様々な働きを果たしていますが、疼痛感覚伝達に対する抑制作用により鎮痛効果をもたらします。
中国中医科学院鍼灸研究所は、毒性の強いホルムアルデヒド(酸化メチレン)をラットの首に皮下注射して、急性炎症による炎症性疼痛モデルを作り、GABAと鍼治療との関係性を調べた実験があります。急性炎症によってモデル組のラットはGABAAとGABABの受容体mRAN*6の表出が対照組(生理塩水の注射を受けた)ラットよりずっと上昇し、これは内因性鎮痛システムが作動した証拠です。しかし電気鍼を受けた治療組はさらに上昇して、とくにGABABの受容体mRANの表出がより著明となりました。結論として、鍼治療は脊髄内抑制性神経伝達物質のGABAとその受容体表出を高めることにより、鎮痛効果が現れたのです。
③セロトニン(5-ヒドロキシトリプタミン 5-HT)
ヒトは痛みの感じ方がそれぞれです。身体のどこかに痛みがあると気分的にうつになりがちで、うつ状態になると痛みは更に何倍も拡大して感じとります。そのため、近代医学の臨床で激しい痛みが伴う頭痛、歯の病気、帯状疱疹、五十肩などに対して、抗うつ剤を投用してより良い鎮痛作用を発揮した例は少なくありません。
セロトニンは抗うつ剤の一つです。セロトニンの90%は腸に存在しますが、およそ1%は脳幹の縫線核に保有します。セロトニンは神経伝達物質のドーパミン、ノルアドレナリンなどと協調し、生体リズム・内分泌・覚醒と睡眠・体温・食欲・感覚認知などの生理機能を調節し、気分・情緒・痛覚などをコントロールし、精神を安定させる働きを持ちます。
セロトニンの鎮痛作用発見のメカニズムは二つ考えられます。一つは、下行性痛覚抑制系において神経伝達物質として侵害受容性ニューロンを抑制して痛覚を緩和させます。もう一つは、上行性網様体賦活系*7において抑制性物質として働き、ノンレム睡眠(脳を休める睡眠)を誘発する作用で痛覚を軽減させます。
疼痛自身が脳からセロトニンの放出を促進し内因性鎮痛システムを賦活できますが、鍼の刺激はセロトニンに対してどんな影響があるか。ラット実験で鍼の刺激は脳内のセロトニン含有量を増加させる結果が出ています。セロトニンが増加すると同時に、その代謝産物である5-ハイドロキシインドーロ酢酸(5-HIAA)の量も増えました。鍼刺激が強いほどセロトニンの分泌も多くなります。また、セロトニンの合成を促進すると同時にその分解を抑制する効果もあるため、脳内の保有量が更に上昇することになります。そして、部位によってセロトニンの含有量も異なります。側頭葉にある海馬、中脳のセロトニン量は著しく上昇しましたが、視床下部や脊髄は減少し、延髄はほとんど変化が見られません。
鍼刺激によるセロトニンの放出増加は、鎮痛作用だけでなく、精神安定・鎮静作用もありますので、痛みに対する相乗効果を発揮します。
④グルタミン酸(Glu)
中枢神経系においてグルタミン酸が普遍的な興奮性伝達物質として、多くのニューロンに強い興奮作用を持ち、記憶・学習などの脳高次機能に重要な役割を果たしています。グルタミン酸の受容体(興奮性アミノ酸受容体 EAA)は現在5種類のサブタイプが認められ、中のAMPA受容体とNMDA受容体などの4種類はイオンチャネルを持ち、Na⁺、K⁺、Ca⁺²などの透過による脱分極で興奮性シナプス後電位を起こします。残り1種類はイオンチャネルを構成しない代謝型EAA受容体で、mGluR5はそのファミリーの一つです。グルタミン酸が疼痛感覚を伝達する重要な物質で、伝達スピードはサブスタンP(P物質)より速いです。
中国中医科学院鍼灸研究所はラットの首を切開し臨床の甲状腺手術を模倣し疼痛モデルラットを作り、モデル組の一部に電気鍼治療を受けさせ、治療組を作りました。そしてそれぞれの術前術後の
①疼痛閾値、
②1~4番脊髄後角mGluR5mRNAの発現量、
③cAMPmRNA、MAPKmRNA、CREBmRNAの表出レベル
を測定しました。結果、
①術後、モデル組の疼痛閾値は明らかに低くなりましたが、治療組は高くなり、傷口を刺激しても逃避反射は少なくなりました。
②モデル組のmGluR5mRNAの発現は著しく増加しましたが、治療組のmGluR5mRNAの発現はモデル組より減少しました。
③シグナル伝導経路であるcAMP-MAPK-CREBにおいて、モデル組はcAMPmRNAとCREBmRNAの表出レベルは向上しましたが、治療組は著明に下降しました。MAPKmRNAの表出レベルは両組に大きな差は現れていません。
cAMP-MAPK-CREB経路のcAMP(環状アデノシン一リン酸)は、細胞内の情報伝達物質で、セカンド・メッセンジャーとして、分裂促進因子活性化たんぱく質キナーゼ*8(MAPK)を活性化します。続けてMAPKの活性化によりcAMP応答配列(エレメンド)結合たんぱく質(CREB)が活性化されます。CREBは転写調節因子としてMAPKシグナル経路の下流に働きかけ、情報を転写・翻訳し、神経ニューロン間の接続・情報の伝達に必要な物質です。疼痛という情報の大脳への伝達にcAMP-MAPK-CREB経路が働きますが、電気鍼によりこの経路の要素が抑制され鎮痛効果は現れたと考えられています。
*3 Giタンパク:GTP結合たんぱく質(略してGたんぱく質)は細胞膜に存在します。細胞膜にある受容体が受けた刺激を効果器たんぱく質(エフェクタータンパク質)へ伝えるとき転換器(トランスデューサー)として働きます。Gたんぱく質には促進性(stimulate)Gたんぱく質(Gs)と抑制性(inhibit)Gたんぱく質(Gi)があり、多くのホルモンや神経伝達物質はGタンパクを介して効果が発現されます。促進性リガンドは受容体と結合してGsを介してセカンド・メッセンジャーを活性化します。逆に抑制性リガンドは受容体と結合してGiを介して抑制効果をもたらいます。そのため、Gたんぱく質は信号(刺激)伝達経路の分子スイッチとしても働きます。
*4 ATP依存性K⁺チャネル:細胞膜は7.5nmの厚さをもち、脂質とたんぱく質からなります。脂質は二重層の膜で、たんぱく質は二重層の中に島のように分布しています。これらのたんぱく質は受容体、酵素、イオンチャネルなどとして重要な役割を演じます。イオンチャネルはK⁺、Na⁺、Ca²⁺、Cl⁻等のイオンに細胞膜を通過させ細胞内外へ移動させます。イオンの移動には、拡散や浸透などのエネルギー(ATP)の要らない形やエネルギーを消費して能動輸送の形があります。ATP依存性K⁺チャネルは能動輸送です。
*5 アゴニスト:配位子、結合子ともいいます。生体内で、メッセンジャーとして活躍するのはホルモン、神経伝達物質やサイトカインなどです。これらの物質を総じてリガンド(内因性)と称します。リガンドは細胞受容体(レセプター)と結合し細胞間の情報伝達を行います。リガンド構造と似たような、あるいは目的によって多少構造が違う人工合成する化学物質(薬)をアゴニストといいます。外因性リガンドと称する場合もあり、内因性リガンドと同様な機能をします(作動薬)。反対に、内因性リガンドの働きを阻害し、生体への作用を弱めるのをアンタゴニスト(拮抗薬)といいます。
*6 mRNA:メッセンジャーRNA、伝令RNAのことです。たんぱく質を合成するのは、まず細胞核内でRNA合成酵素によりDNAの遺伝情報(遺伝子)をmRNAに転写されます。遺伝情報を受け継いだmRNAは細胞核から細胞質に出て、たんぱく質を合成する場所であるリボソームに付着します。リボソームでmRNAの遺伝情報に従ってたんぱく質が合成されます。そのため、あるたんぱく質の量を知るためには、よくそのたんぱく質のmRNAを測定する方法をとります。
*7 上行性網様体賦活系:脊髄の上端は脳幹で、脳幹から脳神経が出ますが、背蓋部に散在する神経細胞とその網状につらなった神経突起を網様体と総称します。痛みや何らかの刺激が網様体を強く興奮させてインパルスを視床に送り、大脳皮質の活動を亢進させて覚醒が生じます。網様体-視床-大脳皮質という覚醒機構系を上行性網様体賦活系といいます。
*8 キナーゼ:リン酸基転移酵素、リン酸化酵素ともいいます。ATPなど高エネルギーリン酸結合を有する分子から、リン酸をほかの基質やターゲット分子に転移する反応を触媒する酵素の総称です。生体に500種類以上のキナーゼがあるといわれています。
このシリーズの内容は当治療院の許諾を得ないで無断で複製・転載した場合、当治療院(=作者)の著作権侵害になりますので、固く禁じます。